【怖い話 第2025話】ギロチンにまつわる話
引用元
http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1489674100/
598 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2017/04/18(火) 10:21:08.49 ID:HNZ5ENqF0.net[1/2]
歴史の話なので、ギロチンの話とか
ギロチンの提唱者はジョゼフ・ギヨタンという内科医で当時のフランスの議員だった。
博愛主義で死刑反対派だった彼は、当時のフランスの受刑者の身分や貧富によって処刑方法が違うということに憤りを覚えていた。
mた、斬首の場合、腕の悪い処刑人にあたると何度も何度もやり直しをさせられて苦しんで死ぬこともあったので
人道的な処刑を行うことが死刑廃止の第一歩である、と思い
知り合いの外科医に「何とか受刑者を苦しませずに処刑する方法はないだろうか」と相談した。
その外科医アントワーヌ・ルイと何人かの識者がギロチンの元となる斬首台の設計をし
知り合いのチェンバロ製造業者トビアスに依頼してギロチンができあがった。
これにより、受刑者が苦しまずに死ぬことができるように……なるはずだった。
ところが、このギロチンは法令により、各地に1台ずつギロチンを設置することが急遽決まったため
トビアスの小さな工房ですべてを作るのは難しく、トビアスは大急ぎで粗悪なギロチンを作り上げ
各地で処刑に失敗することが続発した。
599 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2017/04/18(火) 10:21:43.00 ID:HNZ5ENqF0.net[2/2]
(続き)
また、一種の「ショー的要素」が加わったためか、大勢の客が押しかけた。
田舎からパリに「ギロチンを見に行くツアー」が組まれることもあったし
その人気をうけて、30分で20人の処刑を行うようなこともあった。
パリではギロチンが見られる場所にあるカフェは繁盛した。
さらに小型のギロチンも売りに出されて、少年少女がそれを買い求め、
鳥や小動物の首を切り落とすのが流行してしまった。
(余談だがゲーテが母親に小型ギロチンを買って欲しいとおねだりして、即座に断られた手紙のやり取りも残っている)
その結果、粗悪なギロチンを津くったトビアスではあるが、このギロチン製造の特許をもっていたため、大金持ちになった。
それに対し、「人道的な処刑」を提案しただけのギヨタンが、まるで設計者であるかのように間違われ
当初は設計者(外科医のアントワーヌ・ルイ)の名前をとって「ルイゾン」と呼ばれていたのが
「ギヨタン博士の子供(=ギヨテーヌ)」からギロチンという名前が定着してしまい、
家族は姓を変えることになってしまった。
しかも現在では、何故か「ファラリスの雄牛」という拷問道具の製作者と混同されて
「ギロチンの製作者は最後はギロチンによって処刑された」ということが、さも事実であるかのように言われる始末。
603 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2017/04/18(火) 12:02:17.43 ID:zf5eFXW40.net
>>598
ギロティーヌ絡みだと、ギロチンの刃を斜めにするというアイデアを出したのがルイ16世
これは設計当初半円形だった刃に対し、『失敗なく鋭利な切断によって囚人に苦痛を与えない様に』と配慮しての改善策だった
しかしそうした人道主義的な側面は民衆に知られる事のないまま、フランス革命に於いてルイ16世は自らがギロチンにかけられる
という結末を迎えた
歴史の話なので、ギロチンの話とか
ギロチンの提唱者はジョゼフ・ギヨタンという内科医で当時のフランスの議員だった。
博愛主義で死刑反対派だった彼は、当時のフランスの受刑者の身分や貧富によって処刑方法が違うということに憤りを覚えていた。
mた、斬首の場合、腕の悪い処刑人にあたると何度も何度もやり直しをさせられて苦しんで死ぬこともあったので
人道的な処刑を行うことが死刑廃止の第一歩である、と思い
知り合いの外科医に「何とか受刑者を苦しませずに処刑する方法はないだろうか」と相談した。
その外科医アントワーヌ・ルイと何人かの識者がギロチンの元となる斬首台の設計をし
知り合いのチェンバロ製造業者トビアスに依頼してギロチンができあがった。
これにより、受刑者が苦しまずに死ぬことができるように……なるはずだった。
ところが、このギロチンは法令により、各地に1台ずつギロチンを設置することが急遽決まったため
トビアスの小さな工房ですべてを作るのは難しく、トビアスは大急ぎで粗悪なギロチンを作り上げ
各地で処刑に失敗することが続発した。
599 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2017/04/18(火) 10:21:43.00 ID:HNZ5ENqF0.net[2/2]
(続き)
また、一種の「ショー的要素」が加わったためか、大勢の客が押しかけた。
田舎からパリに「ギロチンを見に行くツアー」が組まれることもあったし
その人気をうけて、30分で20人の処刑を行うようなこともあった。
パリではギロチンが見られる場所にあるカフェは繁盛した。
さらに小型のギロチンも売りに出されて、少年少女がそれを買い求め、
鳥や小動物の首を切り落とすのが流行してしまった。
(余談だがゲーテが母親に小型ギロチンを買って欲しいとおねだりして、即座に断られた手紙のやり取りも残っている)
その結果、粗悪なギロチンを津くったトビアスではあるが、このギロチン製造の特許をもっていたため、大金持ちになった。
それに対し、「人道的な処刑」を提案しただけのギヨタンが、まるで設計者であるかのように間違われ
当初は設計者(外科医のアントワーヌ・ルイ)の名前をとって「ルイゾン」と呼ばれていたのが
「ギヨタン博士の子供(=ギヨテーヌ)」からギロチンという名前が定着してしまい、
家族は姓を変えることになってしまった。
しかも現在では、何故か「ファラリスの雄牛」という拷問道具の製作者と混同されて
「ギロチンの製作者は最後はギロチンによって処刑された」ということが、さも事実であるかのように言われる始末。
603 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2017/04/18(火) 12:02:17.43 ID:zf5eFXW40.net
>>598
ギロティーヌ絡みだと、ギロチンの刃を斜めにするというアイデアを出したのがルイ16世
これは設計当初半円形だった刃に対し、『失敗なく鋭利な切断によって囚人に苦痛を与えない様に』と配慮しての改善策だった
しかしそうした人道主義的な側面は民衆に知られる事のないまま、フランス革命に於いてルイ16世は自らがギロチンにかけられる
という結末を迎えた
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